今朝もまた、起きる時間を見計らったように 雄猫のバロンが枕元にやって来て、「おかあさ~ん」「ねぇ~え」「ごは~ん」と言いながら、前足を伸ばして 肩に触れてくる。まだ眠くて起きたくない私は 布団の中から 「はいよ~ ご飯かい?今行くよ~」と ボソボソ声をかけると、「う~ん」と返事をしながら階段を降りて行く。隣で寝ている旦那の耳にも この私達の会話はしっかりと聞こえていると言う。他の2匹は残念ながら(当然ながら?)喋れないが、私が話しかけると、一応返事をしてくれるから 意思の疎通は出来ているのだろうと 勝手に解釈している。
ところで、私のことを大好き(であろう)なバロンの 時折謎めいた深い色あいの瞳で ジッと見つめられると 心の奥底まで見透かされているようで、ばつが悪くなる。以前自分がしてきた酷い行ないを思い出さずにはいられなくなるからである。動物を猫可愛がりするかと思えば、気分次第で邪険に扱ったりと、とても愛情ある振る舞いとは言えない数々の行為を平然としていた まさに小悪魔の私。今でも思い出す度、自責の念にかられ 後悔で切ない想いに胸が苦しくなる。申し訳ない気持ちで一杯になる。
そんな私が偉そうに言える筋合いでもなく おこがましい限りですが、それだからこそ、贖罪のつもりで 物言えぬ動物達に代わって、今更ながらでも その苦しみ、悲しさの思いのたけを 代弁してあげられたら と切に願うのであります。
最後を看取られて一生を終えるペットがいる一方、身勝手な飼い主によって 保健所に送られ、殺処分されたり、実験台にされて亡くなる動物達。
また 家族同然に大事に大事に 愛情を注いで育てられた筈が、 いずれ食される為に殺される運命の家畜達。死への恐怖や悲しみに満ちた悲痛な叫びが、人間の心には届かないのだろうか?
子供が、可愛らしい動物達とふれあい、命の尊さは生きとし生けるもの全てが平等であることを学べる ふれあいパークの隣で バーベキューをするという 違和感たっぷりの不思議な情景。
きつい言い方にとられることと思うが
0コメント